中国の偽ミッキーを初めてテレビで見た時の衝撃は今でも忘れることができない。
そのあまりのクオリティの低さには寒気がしたものだ。
これはどの程度の力の入れ具合で作ったのだろうかなんて悩んだものだ。
まさか全力でコピーしてこれってことはないし。。。
魅力的な部分だけ残して、他の部分をアレンジするってんなら少しは意味もわかるってもんだけど、正直、あれはミッキーから魅力的な部分だけを汚らしく剥がし取ったっていう風にしか見えなかった。
そもそも、“これパクリだろ?”って言われたら相手のこと丸かじりにせんばかりに罵りながら否定しないといけないようなやましさが確実に存在するこの出来栄えについて、製作に携わった人達はどうやって心の折り合いをつけているのだろうか。
まぁ十分にミッキーの魅力を理解できていないのに、その人気にだけ便乗しようなんてスケベ心を出したもんだからあんな悲惨なことになったんだろうな。。。
しかし、同じ“偽物”でも日本の“食品サンプル”は凄みが違う。
キャラクターをパクったりするのとは全然違うが、偽物を作って“どうだ!スゲェだろ!”っていう点では全く同じである。
先日、この食品サンプルが大量に展示販売されてて、その場で即興作製までされている所に通りがかった。
あれはホントにスゲェ。
こんな時代にパソコンなんかも全く使わないのにあのクオリティなんだからホント驚いてしまう。。
職人のおっさんも“材料さえあれば何でも作れる”と豪語していた。
あの食べかけの納豆ご飯なんて。。。
納豆が将軍様くらい大嫌いなおっさんでもわかるくらいのリアリティである。
しかし、これが不思議なことにリアルであればリアルであるほど、なんだか可愛いのだ。
おっさんからすれば、これはもう訳のわからん絵画なんかよりよっぽど上質な芸術である。
外国の人達は更にこういうのには感動を覚えるのだろうか?
デート中にたまたま通りがかったというようなスラッと背が高い男前の欧米人は、凄まじいリアリティで存在する食品サンプル達を前に、その腰に腰巾着みたいにぶら下がっている日本人の彼女に向かって
“モノスゴクオイシソウダ!コレハコウフンモノダ!
イマボクハモノスゴクコウフンシテイル!
モノスゴクコウフンシテイルンダ!”
と片言の日本語で連呼していた。
その姿は何か滑稽で、おっさんはおかしくておかしくて仕方なかった。
やっぱ母国語で感動をストレートに表現していないからだろうか?
そう考えると冒頭の偽ミッキーもあれはあれで仕方がないのかもしれない。
ミッキーを中華風に表現すると、どうしてもあぁなってしまうというだけなのかもしれない。
おっさんだって外国の人に
“オマエブラッド•ピッドノニセモノダロ!”
なんて言われたら、必死に否定するだろうしなぁ。
うわぁ今日も何だかグダグダの話になってしまったよ。。
とても魅力的な記事でした。
返信削除また遊びに来ます!!