テレビをみていると大阪の高校のバスケット部員が顧問である教師による体罰を原因として自殺した件の報道が連日なされているのが目につく。
ネットではその教師の顔写真まで晒されるという事態になっているようである。
あっ!ちなみにおっさんも学生の頃は体罰を何度も受けたことがありますよ。
ただし堪えられる程度。
でも、今回のは何十発も殴るなんて教育的措置を遥かに越えているし、報道によると生徒には比がなかったということで、いわゆる「罰」ではなくて単なる“バカげた暴力”だったようである。
またこの問題を受けて大阪の市長さんが来期の募集を行うべきでないとの見解を示したというようなことも問題になってるようだ。
世間ではこの市長の発言について支持しない旨の反応が多いらしい。
やはり受験を控えて必死に努力してきた受験生が可哀想だというのがその理由の主なものみたいですね。
しかし、おっさんにも無責任な立場から一言言わせてもらうと、市長がこの問題を重大なものと考えて大騒ぎするのは良いことだと思っています。
理由は3つ。
1つ目は、やはり来年受験すべく頑張ってきた少年達以上に、おっさんには亡くなった少年の無念な心情がやっぱり哀れでならないということ。
人はどんなに夭逝であっても、その短い人生の中には必ず“春夏秋冬”がちゃんとあるらしい。
明るく清々しくて生まれてきた喜びに満ち溢れた春
ギラギラ照る太陽の光のように気力が漲る夏
実りに幸せを感じとれる充実した秋
寒さに目もくらみ目標を見失いそうになりながらもじっと堪える冬
亡くなった彼の人生にもきっとあったはずである。
最後の冬を彼はどんな気持ちを耐え忍んで、そして最後諦めたのか。
本来なら季節は巡るはずである。
本当なら冬を耐え忍んだ後には、また再び希望と幸せに満ちた春が必ずやってくるのである。
しかし、それすらも放棄させたのだから許されるわけがない。
暴力教師を切っただけで良いわけない。
これを良しとしていた学校全体を1度ひっくり返す必要があると思う。
ってか、教師がこれではイジメなんかなくならないし、今回の件ではイジメられている子供達は死ねば地獄から逃れられるのかと、死を身近にイメージしてしまったかもしれない。
2つ目は、以前からおっさんが違和感を感じている「優秀なスポーツ選手やその指導者は人格者である」という全く誤ったイメージが世の中に蔓延しているという事実である。
少し前に教え子にわいせつ行為をはたらいた金メダリストがしばしばニュースで話題になっていたが、運動以外は疎かにしてきて円満な社会常識も備えていないような人物を“人を指導する立場”に据えることの危険性はみんな1度くらいは必ず見聞きしてきたことだろう。
なのにマスコミなんかもスポーツだということだけで無条件に爽やかなものと礼賛したり、それに携わる者を全て善人であるかのように持ち上げる。
そのような雰囲気の上でアグラをかいて飯を食ってるような勘違い野郎が世間にはごまんといるのだ。
最後の1つ。
「教育」ってのは、先般からクローズアップされてきた領土問題と同様に、最も基本的な“国の最重要問題”だと思う。
ここをなおざりにしてバカばっかり育てて社会で放牧してると国は早晩滅ぶに違いないからだ。
教師が生徒をイジメ殺すなんて学校というシステムにおいては完全におかしいことだ。
それなのに原発問題みたくデモしたりする人も出てこないところを見ると、何だかんだ言ったって多分みんな“対岸の火事”くらいにしか思っていなからだと思う。
市長だけじゃなくて、国会議員や大臣達も何か言えよと思う。
この3点から、おっさんはこの問題はなるべく大騒ぎして大問題にすべきだと思う。
またまた暴論に終始したことをお詫び致します。
こういうことはもうブログで書かないでおこうと思っていたんですけどオシャレなカフェの雰囲気から一気に書き上げてアップしてしまった次第であります。
おわり
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