2011/11/18
十三人の刺客。
この前、“勇者ヨシヒコと魔王の城”のことを書いた時に、村のセットが同じってことで少し出てきた映画“十三人の刺客”を再びDVDで楽しんだ。
この作品の監督は、三池監督ってあのメチャクチャたくさん撮ってる人でしょ?
おっさんはこの監督には“ ヤッターマン ”とかで散々痛い目に遭ったんだけど、この作品については賛否両論あるだろうけど、おっさんは好きだなぁ〜
確かにグロい描写とかもあるけど、それはストーリー上必然性があるもので、一般的には稲垣吾郎が残忍な暴君を好演したみたいに言われてるけど、実際は、脚本家と監督がそう見えるよう様々な表現で彼をリードしていった結果だと思う。。。
意図的かはわからんけど、ありがちな鼻に付く中途半端な色恋要素とかも削ぎ落とされていて、日本男児(特におっさん達)の心を直撃する潔さがありますな。
この作品は、なんせ全体の約1/3くらいがラストの大殺陣に当てられてるので、刺客13人の描き分けに欠ける部分が確かにあるとは思うけど、おっさんが思うにそれは単にその役者が力不足だったからだけだと思う。
まぁ実際でも13人も人がいりゃあ影の薄いヤツの1人や2人はいるからなぁ。。。
でも、魅せる役者は当然魅せている。
例えば、刺客役ではないけど松本幸四郎が明石藩の行列の通行を止めた後、仇討ちを刺客に託して割腹して果てるシーンなんて良かったなぁ。。。
でも、この作品は豪華キャストで金もかかってるだろうから「サムライ」好きの海外にも当然供給されただろうけど、先程のシーンや、刺客の頭目(役所広司)と、明石藩御用人(市村正親)2人の、武士としての忠義の捉え方の違いなんて外国の人には果たして理解できるのだろうか?
ってか、日本人でもこれがピンとこない人(侍 = 武士とか理解している人)には、全体の1/3も斬り合ってるこの映画は単なるチャンバラにしか見えんだろな。。。
冒頭の写真は前述の大殺陣前に、新左衛門が暴君に慰み者にされた上、捨てられた女性が無念のうえ口で咥えた筆で記した“みなごろし”という書を明石藩士達に示すシーンである。(おっさんはゾクゾクしました。。。)
ここまででも十分以上に偉そうな上から目線ですが、更にもっと横着なことを言うと、この映画のMVPはやっぱ役所広司と山田孝之で、特に山田孝之は良かった。
元和偃武の平和な時代の武士が腹を括るという芝居はホントに素晴らしかったと思う。
一方、松方弘樹は完全なミスキャストだと思う。
あの人の所作は須らく“チャンバラ”なのだ。(でも、そういう世界の人なんだから、これは仕方がないとも言えるが。。。)
あっ!でも、松方弘樹が殺陣で斬死するなんて初めて見たかも!
【関連するおっさんの日記】
○ 勇者ヨシヒコと魔王の城。
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